大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和38年(あ)3122号 判決 1965年5月20日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人山本彦助の上告趣意第一について。

所論は、本件漁業監督吏員の権限の行使が管轄区域外のものであって、規定の根拠なく無効であることを前提として憲法三一条違反を主張するものである。しかし、本件につき事実審の確定したところによれば、長崎県漁業監督吏員たる同県漁業取締船海竜丸船長松山景義は本件第六幸洋丸に対し正当な職務行為として立入検査を行なうべくこれに接近したところ、これに気付いた第六幸洋丸が忽ち全速力で逃走を開始したため、やむなくこれを追跡したものであり、その逃走開始当時の第六幸洋丸の位置は、長崎県壱岐郡若宮島灯台の北東九浬の海面で、同所から途中停船の信号を発しながら継続追跡して本件現場に至ったものであり、右逃走開始位置は周囲の状況から見て明らかに長崎県の管轄漁業取締区域内と認められるというのである。右のごとき事実関係の下においては、同所から継続追跡中に発した本件停船命令は、その場所が長崎県の管轄区域外であったとしても、長崎県漁業監督吏員たる前記松山景義の法令の根拠に基づく適法な公務の執行に属するものと解するのが正当であり、これと結論を同じくする原判決は結局正当であって、所論違憲の主張は前提を欠くものであり、刑訴法四〇五条の上告理由に当らない。

同二について。

所論は、本件に適用された中型機船底曳網漁業取締規則二六条、二八条四号が法律の委任の根拠を欠き違憲であり、かかる違憲の規則を適用した第一審判決を是認した原判決は違憲であると主張する。しかし、前記漁業取締規則の規定は漁業法(昭和二四年法律二六七号)六五条一項ないし三項および水産資源保護法四条一項ないし三項に基づき、法律の委任により、且つその委任の範囲内において定められた規定であると認められる。そして所論は、昭和三八年一月二二日農林省令五号の規定を云々し、現行法は漁業監督吏員には停船命令の権限なく、これに関する罰則もないというが、前記漁業取締規則は、旧漁業法に基く省令の効力に関する省令(昭和二五年三月一四日農林省令一八号)によって、旧漁業法(明治四三年法律五八号)に基づいて定めたものではあるが、漁業法(昭和二四年法律二六七号)の規定に基づいて定められたものとせられ、また前記漁業取締規則を廃止した所論昭和三八年一月二二日農林省令五号の附則一六条は、この省令の施行前にした行為に対する漁業取締り上行なう行政庁の処分についての規定の適用および罰則の適用については、なお従前の例による旨を規定しているのであるから、所論の右省令の規定は、前記漁業取締規則が法律の委任の根拠を有するものであることを何ら左右するものでない。それ故、所論違憲の主張は前提を欠くものであって、刑訴法四〇五条の上告理由に当らない。

被告人らの上告趣意第一について。

所論はまず、本件漁業監督吏員の権限の行使が管轄区域外のものであって規定の根拠なく無効であることを前提として憲法三一条違反を主張するものである。しかし、所論は前提を欠き刑訴法四〇五条の上告理由に当らないことは、前記弁護人山本彦助の上告趣意一に対する説示において述べたとおりである。

所論は次に、本件に適用された中型機船底曳網漁業取締規則の立入検査の目的をもってする停船命令は管轄内であっても無効であることを前提として違憲をいうが、これまた前提を欠き、刑訴法四〇五条の上告理由に当らないものであることは前記弁護人山本彦助の上告趣意二に対する説示において述べたとおりである。

所論は更に、本件追跡行為が漁業法違反の現行犯逮捕の目的でなされたものであるとすれば、それは違法であり、原判決はこれを適法と認めた点において憲法三一条、三三条、三五条に違反すると主張する。しかし、本件に適用された前記漁業取締規則の根拠法律である漁業法(昭和二四年法律二六七号)七四条は、漁業監督公務員が漁業に関する法令の励行に関する任務を有することを規定し、右公務員は必要があると認めるときは、船舶に臨んで検査しまたは関係者に対し質問をすることができる旨を規定しており、そして前記漁業取締規則二六条による停船命令は、前記漁業法六五条に基づき漁業取締りその他漁業調整の目的のために定められたものであること法文上明らかである。そして、本件につき事実審判決の確定したところによれば、長崎県漁業監督吏員たる同県漁業取締船海竜丸船長松山景義が、正当な職務行為として、右判決判示の海上において本件第六幸洋丸の立入検査をするためこれに接近したところ、同船がにわかに逃走を開始したので追跡し、これに停船を命じたというのである。しからば右追跡行為が、同時に、状況の如何によって犯罪捜査をも行なう意図を含んでいたかどうかはしばらく別としても、すくなくとも当初は、むしろ専ら漁業法の所期する行政目的のためになされたものであり、決して犯罪捜査を目的としていたものでなかったことは明らかといわなければならない。(なお、この点につき原判決は、「長崎県漁業監督吏員たる同県漁業取締船海竜丸船長松山景義は決して濫りに本件第六幸洋丸の立入検査をしようとしたものではなく、操業禁止区域侵犯の現行犯人の取締、すなわち正当な職務行為として立入検査を行うべくこれに接近しようとしたのであるが云々」と判示しているけれども、事実審の確定した事実関係の下においては、原判決が、右船長松山景義の右行為が当初から専ら犯罪捜査を目的としてなされたものであり、漁業法の所期する行政目的のためになされたものではなかった、との趣旨を示したものとは解せられない。)されば、右船長松山景義の行為をもって、犯罪捜査のための手段としてなされたものであることを前提とする違憲の主張は、その前提を欠くものであり、刑訴法四〇五条の上告理由に当らない。

なお、所論は沖の島周辺の漁場が福岡、長崎両県の競合取締区域であるとの原判決判示の違憲をいうのである。しかし、事実審の確定した事実関係の下においては、船長松山景義の本件停船命令は、その場所が長崎県の管轄区域外であったとしても、法令の根拠に基づく適法な公務の執行に属するものと解せられることは、前記弁護人山本彦助の上告趣意一に対する説示において述べたおとりである。しからば、所論の区域が両県の競合取締区域であるか否かの所論は、判決に影響なき論旨というべく、刑訴法四〇五条の上告理由に当らない。

同第二について。

所論は、本件に適用された前記漁業取締規則二六条、二八条を違憲であるとし、原判決の憲法三一条、三三条、三五条違反をいうものである。しかし、右漁業取締規則二六条、二八条が法律の委任の根拠を欠きまたは委任の範囲を逸脱したものでないことは、前記弁護人山本彦助の上告趣意二に対する説示中に述べたとおりであって、所論違憲の主張は前提を欠くものであって、刑訴法四〇五条の上告理由に当らない。

同第三について。

所論は違憲をいうが、実質は事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当らない。

よって、同四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田 誠)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例